Last Updated: 2005/3/13

Diary
日々の日記。暇な時に書きます。
 Monday, 2 August,2004   大学へゆく
大学へ行かねばならない。国際学生課でレセプションを受けなければいけないのだ。自分が住んでいるSteinan寮から大学までは3キロくらい離れている。寮の目の前にバス停があり、1時間に1、2本のバスを捕まえれば大学まで直行でいける。持ち前のいい加減さが出て、大学の最寄バス停がわからない。52番バスに乗ればいけるということまではわかっているので、とりあえず乗ってみる。バスは先払いで25クローネ(\438)を支払う。降りるタイミングが不安なので最前部の席に陣取った。15分くらいだろうか、大きな近代的な建物が見えてくる。目指すノルウェー工科自然科学大学らしい。バスは大学構内のグロスホーゲン南というバス停で停まった。いかにも学生らしい人が降りたので、自分もつられて降りてみる。周囲看板には
NTNU(Norges Teknisk Naturvitenskapelige Universitet)
の文字があり、正しく到着できた事がわかって安心する。
 
国際学生課を探さなければならないが、予め受け取っていた地図がよくわからない。とりあえずあてずっぽうで歩いてみる。広いキャンパスだ。学生数は2万人もいるらしい。トロンハイム市が15万人しかいないから、市の規模からすると相当な学生数である。古くからある建物と新しい奇抜な建物を見つつ10分程歩くと、町を見下ろす崖に来てしまった。道に迷っている。戻って違う方向へ行くと、ようやく学内キャンパスの地図を発見した。ノルウェー語で書いてあるが、スペルが英語に似ているのでなんとなくわかる。実は国際学生課のすぐそばまで来ていたようだ。
 
国際学生課でいま日本から来た事を告げると、すぐに2階へ通される。しばらくすると40歳くらいの女性が階段を急いで上がってきた。Dale Licataさんである。この人は国際学生課でもアメリカ、カナダ、日本、韓国担当で俺が日本にいる時からいろんな情報を送ってくれ、また助けてくれた。オスロのネットカフェで読んだ入寮日に関するEメールもDaleさんからのものであった。入学関連の資料で特に書き込むものはなく、レセプションというのは市民登録や、警#署での手続きに関する説明などだけだった。また中古自転車を扱っている店を教わった。一通りの説明が終わると、すぐにホーゲンセン先生の元へと連れ立ってくれた。俺は1年間ホーゲンセン先生の下について研究をしていく事となっている。建設学科のある建物までの間、Daleさんはいろいろ話してくれる。
 
「ホーゲンセン先生の奥さんは働いているの。だから・・・」
 
とにかくDaleの英語はメチャクチャ早い。全ての内容を理解するのは厳しかった。よって後日同じ質問をしてしまうことがあった。英語について聞いてみた。
 
「なぜDaleさんの英語はそんなに流暢なんですか?」
「私はアメリカ生まれ、アメリカ育ちだからよ。」
「なぜノルウェーに?」
「私は・・・(←聞き取れなかった)を勉強するためにノルウェーに来て、いつの間にノルウェーで就職して、いつの間にかノルウェーで結婚して、いつの間にか子供が2人いたのよ(笑)」
 
なるほどアメリカ仕込なら納得がいく。そんな話をしつつ、また途中会話を遮ってカフェや学食、などを紹介してくれた。ホーゲンセン先生の所へ到着すると先生の部屋まで連れて行ってくれた。ホーゲンセン先生は快く迎えてくれた。ホーゲンセン先生は以前、飛行#で有名なボーイング社の技術者であったのでアメリカに住んでいたらしい。だから英語が非常に流暢である。ホーゲンセン先生も俺と話す時はまだゆっくりしゃべってくれるのだが、Daleさんと話している時は速すぎて全くついていけない。しゃべる方はあまりできなくても何とかなるが、聞き取りができないのは非常にまずい。研究をする上ではコミュニケーションをたくさんとって、先生の言った事をよく理解しなければならないからだ。やばい。
 
挨拶もそこそこにホーゲンセン先生の所を辞して、その後もDaleさんが図書館、生協などを案内してくれる。最終的には学生証を作る事まで面倒を見てくれた。本当に親切な人であった。厚くお礼を言って大学を後にした。
 
これからビザの取得の為に警#署へ行く。Daleさんに教わった通りの道を進むとトロンハイム市で有名な跳ね橋(写真)へ出た。これについてはGalleryにて。話はややこしくなるが、俺はまだ1年間の滞在ビザをもらっていない。なぜこのようなシステムになっているのかわからないが、俺のビザは東京の大使館で取得する事ができず、ノルウェーに行ってから警察署に行って受け取る事になっている。そのかわり「あなたの市民権は得られました」と書かれた証明書をくれる。今日はこの証明書を携えている。
警#署に着いてimmigrationの所に行くと、人がごった返していた。待つこと1時間半ばかり。えらそうなおじさんが来て
 
「今日は715番まで受け付けます」
 
と宣言する。俺の待ち番号札は"738"番。かんべんしてくれ。でもしょうがない。明日は警#署が休みなのであさって来ることにしよう。
 
警#署を後にしてDaleさん教わった自転車屋に行ってみる。この自転車屋は中古自転車を扱っていると言っていた。しかし行ってみると中古自転車は全て売れ切れており、残念ながら新車だけであった。一番安いもので2500クローネ(\43750)である。この時期はノルウェー工科大学から留学生達がいなくなった後であり、(前期は6月20日でテスト期間終了)中古自転車が今後入る可能性も低そうだし、高いバス代を考えると買ってしまっても良い気がする。まあ他の店を見回ってみてから決めよう。
 
町の中心部には"Trondheim Torg"というショッピングモールがある。ここでスニーカーを1足買う。いま履いている革靴は疲れてしょうがない。ここで自転車屋の存在を聞いてみると、3Fにあるという。3Fのスポーツショップに行ってみると、自転車が数台置かれていた。値段を見ると2000クローネ(\35000)。バス代の事を考えると1日でも早く手に入れたほうがいい。さらにギアを見れば日本の誇るシマノ製のギヤを搭載しているではないか!思い切って買う事にする。決して安いものではないが、1時間に1、2本しかない高いバスに乗るよりかずっと便利だと思う。
 
お金を払って自転車に乗ってみると、実に快調である。ギアは21段のマウンテンバイクで坂の多いトロンハイムに適している。寮までは町の中心からずっと上り坂が続くが、買った嬉しさで、汗だくになっても寮までガンガンこいだ。
 
 

 Tuesday, 3 August,2004   猪木
寮の部屋にルームメイトが来た。ルームメイトといっても相部屋になるわけではない。正しくは同じトイレとシャワーとキッチンを使う人間という事になる。寝室は個人別になっている。日本の言い方で言えば、「3K」で、広めのキッチンにシャワー、トイレ、そして個人部屋3つ。3つ寝室があるので、3人の共同生活になるわけだが、1つは鍵がしまっていて誰もいない。2つ目は俺の部屋。そして最後のもう一つにそのルームメイトが入る。名前は「アントニオ」。地中海に浮かぶサルディーニャ出身のイタリア人である。
 
「Hi! Nice to meet you」
「Nice to meet you. I'm Antonio.」
 
たしか"Sunshine"という教科書だったが、中学校の教科書で一番はじめに乗っていた「Hello, I am Nancy.」「Hello I am Takeo.」とほとんど変わらない。まあここまでは良かったがその後の会話が噛み合わない。
 
「Where did you come from?」
「??」
「Which contry?」
「Sorry, I don't understand.」
 
俺はノルウェー工科大学中で英語能力に関しては最下級戦士だと思っている。ドラゴンボールで言えばサイバイマンにやられるヤムチャといった所だろうか。しかしアントニオ君。君は俺の仲間のようだ。数ヵ月後にはスーパーサイヤ人になっていなければならない。まあ一緒に英語を勉強していこうじゃないか。
 
午後、大学から戻るとアントニオが食材を大量に買ってきていた。マカロニ、ニンニク、小さなタマネギ、トマトの缶詰、アスパラガスの缶詰、粉チーズ、2種類のスパイス、塩、砂糖、こしょうetc.#今日はマカロニスパゲッティを作るという。肝心のオリーブオイルはなんと持参している。よくぞイタリアから運んできたものだ。二人でキッチンの引き出しなどを漁り、以前住んでいた人間のものと思われる、調理ナイフや、皿などを発見した。アントニオはここへ来る以前、ボローニャ大学で一人暮らしをしていたらしく、手際よく調理をしていく。作らせてしまうのは申し訳ないので手伝おうとするが、
 
「OKOK任せとけ」
 
と言うのでお言葉に甘える事にした。待つこと30分。できたらしい。マカロニスパゲッティは湯で加減が難しいというが、アントニオのは抜群である。スパゲッティソースはトマト缶詰とスパイスを混ぜて作ったものである。薄味だが、絶妙なスパイス加減で、マカロニとマッチしている。ぎこちない話ながらもいろいろ話していると、突然
 
「町の中心に行った?かわいいブロンドヘアーの娘がいっぱいいたぜ」
「ああ、確かにそうかもね。この町はかわいい女の子の割合が高い気がする」
「いまから行こう」
 
いまってもう夜中の10時・・・。
 
ただ1つ安心した。アントニオがホモでなかった事だ。これは俺の外国に対する偏見かもしれないが、外国は日本よりホモが多いようなイメージがある。実際つい最近までアメリカに留学していた日本で同じ研究室の加納隆史曰く、「キャンパス内を男同士で手をつないでいるのが実際いた」との事。最近は同性愛者の人権なども問題になっているから声を大にして言えないが、俺にはそっちの趣味がないからそういうルームメイトが来たらちょっとびびってしまうだろう。アントニオはそういう気配は微塵も見せないし、また女好き発言もしっかり聞いた。安心した。
 
 
 
 
アントニオ↓

 Wednesday, 4 August,2004   アウト
寮の洗濯#、インターネットの手続きをする為に、Moholt寮へ行った。これでやっとネットが開通する。手続きが終わると急いで警察署に向かう。月曜日にできなかった、警察署でのビザ取得をしに行くためだ。11時過ぎに警察署に着いたが、今日もimmigration部門は混雑している。待ち番号札を取ると"711番"である。まあギリギリでなんとか今日は受け付けてもらえるかと期待する。受付の上には受付中の番号が出ていてまだ630番だから相当時間がある。
 
待っていても何もする事がないので、近くのバーガーキングで昼食を取る事にした。日本からバーガーキングは撤退してしまったが、ノルウェーではマクドナルドと双肩を並べる大手フ#ーストフードだ。オスロですでにバーガーキングに世話になっているのでその値段はわかっているが、わかっていても高い。一番安いチキンタツタセットみたいのが、62クローネ(\1085)もする。ノルウェーでは高くて外食はあまりできないと聞いていたが、それも納得する。特にハンバーガーのサイズが大きいわけではない。税金が高いのか物価そのものが高いのかはわからないが、一応日本では食べられないであろう1000円ものハンバーガーをよく味わって食べた。
 
警#署に戻ってひたすら711番の順番が来るのを待ち続ける。午後3時近くになった。
 
「今日は710番まで受け付けます」
 
俺は相当行いが悪いのか。おとといよりショックが大きい。たった1番違いでアウトである。だが、言葉は続いた。
 
「明日は711番から受け付けます。今日受け付けられなかった人は明日10時に今日の番号札をもって来て下さい」
 
明日ちょっとは優遇されるのか。やっと受け付けてもらえる確証を得た気がする。
 
 
 Thursday, 5 August,2004   認可
10時に遅れないように早めに寮を出発する。昨日言われた通り、番号札を出すと最初に受け付けてくれた。念願のビザ取得である。パスポートにビザシールが貼り付けられ、サインされる。警#での手続きが終わると今度は市民登録センターに行って市民IDの手続きをしなくてはならない。こちらはとても空いていてすぐに完了した。
 
時間があまったので、ニーダロス大聖堂へいってみる。ここはトロンハイム随一の観光名所で、非常に歴史が深い。中へ入ると思ったより広く、ステンドグラスと彫刻群がすばらしい。修道#の服を着た人が観光客に説明をしているが、ノルウェー語なのでわからなかった。こういった歴史のあるものはその由来や経緯などを知る事が非常に重要である。大学ではノルウェー語の授業を週2で履修したのでノルウェー語がわかるようになったらもう一度来て聞いてみたい。大聖堂の周りは墓地になっており、たくさんの十字架や墓石がみられるが、墓石に彫ってある年代をみると西暦1500年代のものなどがある。江戸徳川時代より昔のものだ。貴族や騎士などの墓があり、いかに昔から重要な役割を果たしてきたかがわかる。
 
町のストリートには大道芸人達がいて、活気付いている。本当にせわしさのない陽気な町だ。日本にいる時は何度徹夜をした事だろうか。いま本当に休息を得ている気がする。
 
 

 Friday, 6 August,2004   いろいろ
メールチェックをしてみると、Daleさんからのものがあった。内容は自転車でいける良い所があるから来れば教えてあげるというものである。自転車を買った事はすでに報告してあって俺が自転車好きである事も知っている。早速話に飛びついて、国際学生課に言ってみる。Daleさんは仕事中であったが、それを中断して地図を引っ張り出してきてくれた。
 
「市の南側には森の中にたくさんの湖が是非行ってみなさい。マウンテンバイクを持っているなら申し分ないし、今週末は良い天気みたいよ。」
 
地図を見ると、なるほど無数の遊歩道とたくさんの湖がある。すべて人口湖でなく、自然のものらしい。冬はクロカンスキーのコースとなるらしく、道もそれなりに広いようだ。ちょうどDaleさんは郵便を出しにいく用事があるらしく、
 
「詳細な地図が生協に売ってるから一緒に行きましょう」
 
と言ってくれた。国際学生課の建物を出ようとした時、日本人らしき人が自転車を止めていた。Daleさんが話しかけると彼女はやはり日本人であった。程島さんと言う。日本人が他にも来ているらしい事は知っていたが、会うのは始めてだ。2,3会話を交わしただけだったが、久々に聞く日本語は新鮮だった。Daleさんから日本人同士の情報をメールで皆受け取っていたので、また連絡するとしよう。
 
生協で地図のありかを教えてもらい、いくつか購入する。こうなると、あとは自転車用品が必要になってくる。森の中でパンクしたり、飲み物がなくなったりしたら困るからだ。そんなに遠い所ではないとはいえ、それなりの準備は必要だ。Daleさんに礼を言って、市内に向かう。先日自転車を買ったスポーツショップはあまり自転車用品がないので別の店に言って、品物を揃える。ボトルホルダー、専用ボトル、代えチューブ、簡易空気入れ、ゴムひも、イージーパッチ、チューブ交換用レバー。欲しい物は揃った。
 
 
 
寮に戻って一通りのものを自転車に装備し終わった後、メールチェックをしてみると、気になるメールが来ていた。ノルウェー工科自然科学大学には「Isu-talk」という便利なものがある。Isu-talkのアドレスにメールをすると、現在来ている国際学生全員に自分のメールが送れるというものだ。気になるメールというのは「Isu-talk」のメールで、
 
「明日はニュージーランドVSオーストラリアの試合がある。スポーツカフェで熱くなろうぜ!Moholt寮10時出発。行くと言う人はメール待ってるぜ」#Michael
 
ってなものであった。俺は高校、大学と7年間体育会でラグビーをプレーしていた。今は肩を手術してプレーしていないのだが、見るのは今も大好きだ。ラグビーという言葉には弱い。しかも「ニュージーランドVSオーストラリア」というのがこれまた熱い。
見たい。
自転車トレッキングを急遽延期して、明日はラグビー観戦にあてる事にした。
 
「是非参加させて下さい。おそらくオールブラックスにならって上も下も黒い格好でいきます。チャリでMoholt寮まで行くのでよろしく。」
 
一瞬で返信。
いろいろあった一日であった。
 
 
 Saturday, 7 August,2004   ラグビー
スポーツカフェにラグビーを見に行くことになっている。首謀者はマイクというニュージーランド人。他にフランス人、ドイツ人、ノルウェー人など。町の中心近くに「Kings Cross」というカフェがあって、ここには大きなTVモニターが二つある。基本的にイングランド関係のスポーツを観戦するカフェのようだが、今日はラグビーの試合にチャンネルを合わせてくれるらしい。2つあるモニターのうち奥側の席を我ら多国籍観戦軍が陣取る。このうちラグビーをプレーした事あるのは、マイクと俺だけらしい。しかもマイクと俺は同じポジションだったから話せる事も多い。彼はキックが得意らしい。同じポジションでありながら俺とは正反対だな。13時になり試合が始まった。一進一退の攻防が続く。
 
 
ここから先はマニアックな話になります。つまらなかったら読み飛ばしてくだせえな。
 
ニュージーランドには良いフッカーがいるようだ。全体的にオーストラリアに対して体が小さいニュージーランドFWだがスクラム(プレーを再開する際に行うプレーでフォワード同士計16人が組んで押し合うプレー)で負けていない。むしろ押している。スクラムの安定性はラグビーの試合を大きく左右する。このスクラム最前線の真ん中にいるのがフッカーだ。たとえパワーや体重で負けていても、このフッカーによるスクラムを組むタイミングと取り方、首の取り方、姿勢などでスクラムを押し勝ってしまう事がある。良いフッカーがいるチームは必然的にスクラムが強くなる。以前自分がプレーしていた頃、梅田さんというすごいフッカーがいた。この人のおかげで我らバックスは大いによいボールを受け取る事ができたものだ。話は長くなったが、よいフッカーがNZにいる。
それからディフェンス。俺はこれが一番試合を左右すると思う。一見みなバラバラに動いているように見えるが、一個の有#体のように意思の疎通が取れている。特にオーストラリアのディフェンスは、非常に素晴らしい。一人一人が仲間のポジションと敵の相対関係を見ながら、先を予想して無駄走りしているのだ。無駄走りをする事によって、何重にも分厚いディフェンス層ができる。しかもその無駄走りをするコースが非常に的確である。このディフェンスによって、ニュージーランドは突破しても結局トライに結びつける事ができない。オーストラリアのディフェンスはまさにお手本を示していた。無駄走りは妥協すればいくらでも妥協できる。しかしオーストラリアは「一人は皆の為に、皆は一人の為に」この言葉通りのプレーをしていた。
 
 
 
結局試合はニュージーランドの善戦むなしく、オーストラリアが勝った。ニュージーランド人のマイクは悔しそうだったが、本当によい試合を久々に見た。ラグビーは時にサッカーよりも面白いと思う。ルールがちょっと難解だから、日本でなかなか浸透しないのかな?久々にあの楕円球にふれたくなった。
 
 Sunday, 8 August,2004   森へゆく
突#昨日はラグビーを見に行くことになってしまったために、サイクリングは今日行くことになった。換えチューブ、簡易空気入れ、イージーパッチ、ジャムをぬりだくったパンなどを持って寮を出る。大学の近くから進路を南に取る。今回Daleさんに進められた通りに行くとスキージャンプ台脇に到着した。
 
詳細な地図を見ながらペダルを漕ぐが、道があまりにも複雑すぎて迷ってしまった。なんとか牧場の脇に出るが、まったく検討がつかない。たまたま近くに通りかかった家族連れに地図を開いて聞いてみる。すると意外な方向にいる事がわかった。どうやらとんでもない方向に来ていたらしい。気を取り直して、走り出す。しかしまた少し行くとまたわからなくなってしまう。とにかく分かれ道が多すぎるのだ。方位磁石を持ってくればよかった。また近くをハイキングしている老夫婦に聞いてみる。
 
「Where I am?」
 
実にかっこ悪い英語だがこれを使うのは今日2度目。遭難して危険な目にあうよりはマシかと。今回はそこまで激しく行きたい方向から反れていなかった。これ以後は地図をバッグにしまわずにハンドルの手に挟んで行く事にする。
 
やっと自分の位置を確認しながら進み始める。道は舗装されていないが、マウンテンバイクで走るには十分な整備がなされている。マウンテンバイクは便利だ。激坂があれば、ギアを前1後1にしてシャコシャコ漕ぐし、下り坂があれば前3後ろ7にして飛ばす。この山道で初めてマウンテンバイクの真価を見ている気がする。なるほど多すぎるように思える21段ギアも、山道ではそれら全てが活躍する。オンロード派の自分も変化に富んだオフロードを走っていると、オフロード魅力にも気づく。
 
順調に走り始めると、景色を見る余裕が出てくる。所々に湿原あり、池糖あり、また針葉樹の森ありと、最高の環境だ。坂を上りきった所に山小屋があって、小休止をとる。位置を確認してみると、どうやら今回はもくろみ通りの道を走ってきたようだ。安心して今度は豪快なダウンヒルに入る。オフロードのダウンヒルはかなりスリルがある。ケモノ道のような所もあれば急斜面の激坂もある。急斜面の激坂では、チャリを降りたほうが良いかとも思ったが、チャリの轍があるのを見て、俺もチャリで行ってしまった。危険だったが、ここが一番面白かった。
 
長い坂を下り終え、元のジャンプ台の所へ戻ってきた。ジャンプ台の大きさを見学しようと近づいてみると、夏にもかかわらずジャンプの練習をしている。後でわかった事だが滑走台と着地斜面には水が流れており、スキー板で滑れるようになっていた。練習してる選手たちは次々に綺麗なV字飛行を決めていく。黙々と練習をしているのかと思いきやそうでもない。リフトで上に上がるとき、途中の監視小屋にいる監督からいろいろなアドバイスを受けている。ノルウェー語での指示だったから聞き取れなかったが、選手達は監督のアドバイスを真摯に受け止めているようだ。
 
リフトのおじさんに許可をもらって、ジャンプ台脇の階段を登ってみる。振り返って登って来た斜面を見ると寒気がする。相当な急斜面だ。よくこんな競技を考えたものだ。バンジージャンプなら度胸を試すだけだが、スキージャンプは着地に失敗したらただの怪我で済みそうもない。俺は100万円もらってもジャンプだけはやりたくない。前ノルウェー国王は若い時にスキージャンプをやったというから、尊敬する。俺が国王ならヘタレ国王と言われようともやらなかっただろう。
 
充実した一日だった。Daleさんありがとう。

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