Last Updated: 2005/3/13

Diary
日々の日記。暇な時に書きます。
 Friday, 30 July,2004   ノルウェーへ
ノルウェーに行くには直行便がないために、どこかを経由しなければならない。北欧への入り口はデンマークのコペンハーゲンが一般的である。しかし今回はロンドンヒースロー空港経由を選んだ。理由はいたって単純で、相応の安いチケットがあったから。自分が持っているチケットは1年間有効のオープン往復チケットである。このチケットだと日本で何かあった際、復路搭乗日を変更してすぐ帰る事ができる。今のところ、2005年の7月アタマまでは帰らない予定だが、90歳を越える祖母が二人いて、両親も60歳を越えている。俺が帰国するまで健在でいるという事を言ってくれているが、さすがに年齢を考えると心配である。この2005年7月8日付けになっている復路航空券の日程変更しない事を祈る。
 
日本を発ってから、8時間が経とうとしている。相当寝たようだ。出発前夜は準備で徹夜をしてしまった。本当は長い旅程に備えてぐっすりといきたかった。しかし研究の引継ぎや、研究の後始末が終わらなくてとうとう徹夜になってしまった。ただこの徹夜がかえって良かったのかもしれない。成田−ロンドンは寝まくって残り4時間で到着予定である。一番長く、つらい所は案外早くぬけそうである。今回搭乗しているのはBritishAirways8便。これは成田を出ると新潟上空を通過し、日本海に出る。ロシア領空内をひたすら飛んでバルト海、そして北海を越えてロンドンに到着する。道中暇をもてあますかと言うとそうでもない。#体はボーイング社の誇るB747-400だが、その中でも最新鋭の物らしく、全座席後ろに液晶画面がついていてチャンネルを回せば好きな映画などを見られる。チャンネルの選択肢の一つに現在の航行位置があって地図上を飛行機が動いているのがわかる。今はバルト海付近にいるようだ。2時間ばかり窓の外を眺めてボーっとしていると、到着前の機内食が運ばれてきた。あんまり食欲は湧かないが、せっかく出てきたので食べる。内容はチーズとベーコンを挟んだコッペパン、フルーツポンチ、ミネラルウォーター。食べて見るとなかなかうまいもんで、結局全て平らげてしまった。出発直後の食事もそうだったがBritishAirwaysの機内食はいける。以前乗ったノースウェストに比べれば雲泥の差だ。
 
ドーバー海峡を越えると着陸態勢に入る。着陸予定時刻は17時10分である。この時間帯はヒースロー空港が混み合う時間帯で着陸が若干遅れる可能性があるとの放送が入った。しかしその放送を意にも介さないかのように、飛行#はテムズ川を視界に納めながら順調に高度を下げ、ヒースロー空港へ滑り込んだ。ヒースロー空港はトランジットのみなので、荷物も自動的に乗り換え便に運ばれる。よって機内持ち込みの荷物だけを持ってトランジットを行う。乗り換えの際、ボディチェックがある。面倒なのでリュックの金属製品をほとんど出さなかったのだが、当然の事ながらリュック内に詰め込んだままのノートパソコンが原因でお咎めをくらってしまった。
 
「何が入っている?」
「ノートパソコンです」
「これは何だ?」
「ポータブルハードディスクです」
「これは?」
「USBメモリです」
「お前の仕事は何だ?プログラマーか?」
「学生です」
 
こんな会話が一通り終わった後、ごそごそと近くの係員同士で何かを相談している。トランジットが2時間しかないので面倒はごめん蒙りたかったが、結局どこぞの部屋に連れて行かれる事なく通過できた。
バスに乗って、到着ロビーよりヨーロッパ各国への飛行#が出発するターミナルへと移動する。オスロ行きの出発まで1時間半ばかり時間があるので、喫茶店でコーヒーを飲む。ここで時計を8時間ずらす。東京とロンドンの時差を考えると、東京は午前2時くらいのはずだ。一向に眠くないのは徹夜によって時差ぼけを成田ロンドン間で解消してしまったのかもしれない。
 
18時50分、オスロ行きBritishAirways770便に搭乗する。驚く程小さい飛行#だ。通路を挟んで2人がけと3人がけのシートがあるだけで、新幹線の車内を狭くした感じである。仮にもヨーロッパの首都間を結ぶ飛行機なんだけどなあ。だが無理も無い。ノルウェーの首都オスロは50万人しかいないのだから。ノルウェーの人口自体500万人しかいない。日本の人口が1億2千万人に対して東京の人口が1千200万人だから割合からいったらこんなものかもしれない。19時20分、ひっきりなしに着陸してくる飛行機の合間を見つけて離陸。10分程の遅れである。となりのおじさんと前に座っている子供たちは家族のようだ。会話に聞き耳を立ててみるが全くわからない。どうやら初めて耳にするノルウェー語のようだ。ノルウェーは英語教育が進んでいて、大体どこでも英語が通じるというが、少々心配になる。俺は全くノルウェー語を勉強していないのだ。まあどうにでもなるさ。自分に言い聞かせる。
 
オスロ・ガーデモエン国際空港には10分遅れで到着した。新しい空港らしく、北欧ならではの豊富な木材とガラスをうまく使ったつくりになっている。入国手続きは意外なほど早く終わってしまった。よたよたと重い荷物を押しながら、列車乗り場に向かう。今日はオスロで一泊する予定だ。オスロとロンドンは1時間時差があるからここで時計の針を動かす。現在が22時から23時になった。オスロ中心街と空港とは"Fly Toget"という高速鉄道が結んでいる。自動券売#で150クローネ(\2625)を払いホームに下りる。初めて吸うノルウェーの空気だ。意外な程気温は高い。いま自分はTシャツにチノパンだが全く問題ない。緯度が高いだけ、ある程度の涼しさは覚悟していたが、かえって拍子抜けしてしまう。23時16分発"Fly Toget"にはスーツケースを抱えた旅行人が大多数を占めていた。その他自転車をそのまま載せてくる客もいる。ヨーロッパでは自転車を分解せずに列車に乗せられる場合が多い。日本では分解して乗せないといけないから、羨ましい限りである。これを日本では「輪行」というがいちいち分解したり組み立てたり非常に面倒な作業である。ヨーロッパ流のそのまま輪行は話に聞いていたが、これを実際に見ていま、初めてヨーロッパへ来たのだと実感が湧いてきた。
 
オスロ中央駅には25分程で到着した。実は今日泊まるべきホテルを予約していない。(予約ぐらいしておけとのつっこみはさておき)とにかく今から探す。とにかく荷物が重いので、駅から近い所がいい。地球の歩き方を見て近くて安い所に電話をかけてみる。1件目「満室」との事。考えてみれば今日は金曜日だった。ホテルがなかったらどうしよう。「たられば」がアタマをよぎりながらも2件目のホテルに電話をかけてみる。「OK」との返事がきた。一応日本人である事、歩いて行くことを伝えると、道順を教えてくれる。しかし俺のつたない英語リスニング能力では、ほとんどその道順を聞き取ることはできなかった。幸いにも地球の歩き方に詳細な地図が載っているのでそれをあてにする事にした。この地図が間違っていたらゲームオーバーだが、その時はその時でまた電話すればいい。地図上では5分で到着する。方向にめぼしをつけて歩き出すが、厄介な敵が現れた。石畳である。スーツケースのローラーが石畳の節目に入り込んでうまく転がってくれない。しょうがないので持ったり転がしたりを繰り返すが100メートルでばてる。ちなみに俺のスーツケースは本の入れすぎで29.7Kg。進んでは休みの繰り返しで、なんとか駅前の石畳地獄をパスして、繁華街らしき道に入る。ここは普通のアスフ#ルト舗装で転がしやすい。ここを曲るであろう所で地図を確認していると、おばさんが親切に声をかけてきてくれた。
 
「どこのホテルを探しているの?シティホテルならそこを左にまがってまっすぐいった角にあるわよ。」
 
有難い。丁寧にお礼を言って道を急ぐ。考えてみればおばさんが声をかけてくれるのも道理だ。金曜日の23時くらいに繁華街で地球の歩き方を片手に重い荷物を持って、キョロキョロしているのが、華奢な体格の日本人とあらば良いカモである。周りを見れば腕にタトゥーの入ったマイクベルナルドや武藤敬司みたいのがたむろしている。いくら治安の良いノルウェーといえど勿論ごろつきはいる。目を合わさないようにして道を急ぐと、交差点の角にホテルを見つけた。フロントで500クローネ(\8750)を支払う。狭い部屋だが、ホッとしたのか疲れがたまっているのか、急激に睡魔が襲ってきた。もうシャワーなどは明日浴びればよい。とにかく体が睡眠を欲しているので、そのままベッドへ体を横たえた。
 
 
 Saturday, 31 July,2004   首都オスロ
目が覚めた。体は重いのだがmentalの方は結構スッキリしている。現在午前7時。今日は2つ選択肢がある。まず1つは午前8時の列車に乗って一路目的地であるトロンハイムを目指す事。もう一つはオスロでもう1泊し、明朝トロンハイムに向かう。大学には8月1日(日)に到着すると言ってあるので、今日出発しても明日出発しても全く問題ない。結局はオスロの町並みを見学するか、トロンハイムに1日でも早く慣れるかという問題に行き着く。トロンハイムに1日早く入れても、結局8月2日(月)まで寮に入れないので、日曜日はトロンハイムのユースホステルに泊まる事にしている。また例によって予約はしていないが、大学側にはそう伝えてある。どうすべきかしばし悩む。しかしよくよく考えてみれば答えは明快だ。これからトロンハイムに1年間住む事になるが、オスロは帰国日くらいまでこないのではないかと思う。話を聞く限りトロンハイムで大体の事は足りてしまうし、1年間飽きるほどトロンハイムの町並みを見る事になるだろう。よって7月31日(土)はオスロ観光をする事にした。答えがでれば後は気楽で、残るのは観光気分である。シャワーをさっと浴びてフロントの姉さんにもう1泊したい旨を告げる。昨晩の部屋は予約してあるが、他の部屋なら泊まれるらしい。これに承諾し、29.7Kgの荷物を預かってもらった。
 
ホテルを出て昨日のごろつきがいた通りを歩く。昨日とはうって変わって静かだ。まずは、中央駅の方面へ向かう。駅近く来ると同じ種類の自転車がたくさん並んでいるゾーンが目に入る。む、これはレンタサイクルに違いない。自転車好きの俺にとっては見逃せないアイテムである。しかしこのレンタサイクル、どうやって借りたらよいのかさっぱりわからない。ハンドルの一部が柵にくっついているのだが、どうにも取れない。係員もいない。そこへ一人の男が来てスッとカードを柱に差し込んだ。何事もなかったかのようにその男は自転車に乗っていった。どうやらカードが必要らしい。カード挿入口を見てもノルウェー語がかかれているだけで、意味不明である。これはとりあえず駅の観光案内所に行ってみるのが良さそうだ。観光案内所ではやはりそのカードを取り扱っていた。使用者の欄に名前とパスポート番号を書き込むと、550クローネ(\9625)を請求される。窓口の姉さんの英語は早口でよくわからなかったが、このうち500クローネは自転車が壊れたり盗まれたりした時の預かり金らしい。カードを受け取って早速自転車を取りにいく。柱にカードを差し込むと自転車を受け取る事ができた。さてこれから自転車に乗れるというだけで嬉しくて仕方が無い。天気も気温も最高のサイクリング日和である。乗ってみれば、自転車はよく整備されており、実に快調だ。とりあえず駅の北側を走って町の東側へ向かう。
 
町の東側に丘があり、その中腹には「叫び」の作品で知られるムンクの美術館がある。ムンクはノルウェー出身の近代芸術家でその生涯の多くをオスロで過ごした。このムンク生誕100年を記念して作られたのがムンク美術館である。シャコシャコ自転車をこいで丘を登っていくとそれはあった。入館料を払って中へ入ると、一面の壁にムンクの作品が展示されていた。1つたりともガラスに入っているものはなく、直に見られる。今まであまり美術に興味など湧いてこなかったが、さすがに名作「叫び」の本物を見た時は、感じるものがあった。他の作品と違う、気迫というか、感情と言うべきか、うまくあてはめるべき語彙が見つからないが、やはり世界で賞賛されるだけの事がある。他の作品もすばらしい物が多く、あっという間に2時間が過ぎてしまった。ムンクの全作品はとても展示できず、そのほとんどが倉庫にあるというから、ぜひ美術館を大きくして、それら全てを見てみたいものだ。かといってそうなれば半日あってもたりないかもしれないが。ムンク美術館での2時間は実に有意義なものであった。
 
丘を下って今度はノルウェー王宮を目指す。ノルウェーには王がいる。だから王宮も現役であり、王宮には衛兵がいる。ノルウェー王国に来たからにはその王様とやらを見てみたい。たとえ王様は無理でもその王宮や衛兵を見ておく必要がある。大道芸人達がひしめくメインストリートを西に向かう。そのストリートの終点に王宮はあった。さすがに立派な建物である。閉ざされた正面の扉の前には、直立不動の衛兵がいて、観光客は衛兵と写真をとっている。自分も日本ではみられない衛兵という存在を是非カメラに納めておきたかったのだが、いかんせん、デジカメをホテルを忘れてきてしまった。ウェブサイト上でその姿を披露できないのが残念であるが、格好はイギリス王室の衛兵とほとんど同じような感じである。ご想像いただけただろうか?
 
さて、王宮も見られたし、これからの予定を考える。現在午後2時。時間があるので少し離れているバイキング博物館に行ってみることにする。ノルウェーはバイキングの国と呼ばれる程、昔から海洋活動の盛んな国である。博物館に入ってみると、木造船が展示してある。15少年漂流記にあるような大きな船ではないが、それなりの迫力がある。この船は海賊活動や戦いに使われたのではなく、女王が至近距離を移動した時に使われた船のようだ。他にも昔、航海に使用された道具が多数展示されており、なかなか面白い。欲を言えば、実際捕鯨をしていた船や遠くアイスランドまで行ったという船なども見てみたかったが、これらは現存していないのが残念である。
 
バイキング博物館を後にして、オスロ中心部に向かう。そろそろ夕方で腹も減ってきたし(昼ごはんは食べていない)、自転車を返して休む事にする。オスロ中央駅の観光案内所で自転車レンタルカードを返すと先に預けた500クローネが戻される。せっかく駅にいるので、明日の切符を購入する。オスロからトロンハイムまで748クローネ(\13900)。結構かかる。一応割引になればと思い、窓口で学生であることを言って見る。すると
 
「何か証明するものは?」
 
お!好感触。
そこで旅行先で使えないと評判の国際学生証を見せると、なんと切符が半額になった。ダメもとでも聞いてみるものである。浮いたお金で、インターネット喫茶に行き、駅にあるバーガーキングで昼食兼夕飯をとった。
 
 
 Sunday, 1 August,2004   オスロ〜トロンハイム
俺は鉄道旅行が好きだ。なぜなら、景色が落ち着いてみられるからだ。1時間で着いてしまう飛行#でなく、6時間半かけてトロンハイムまで行く鉄道を選んだのは、そういう理由による。もちろん超重量スーツケースを持って飛行場へ行ったりするのが億劫であるという事もある。ただ第一の理由は鉄道に乗ってノルウェー国土をじっくり堪能したいという事に尽きる。
 
オスロ〜トロンハイム間は一日3本の直通列車が走っている。そのうち1本は夜行列車なので景色は楽しめない。自分が乗る列車は8時07分にオスロを出てトロンハイム14時48分到着のものである。オスロ中央駅に着くと大荷物を抱えた人達がごったがえしている。ほとんどは登山の格好をした人達だ。ホームはどん詰まりの行き止まりタイプのものが並んでおり、始発駅独特の良い雰囲気を醸し出している。自分の乗る車両は6号車。12両編成のほぼ真ん中にあたり、ビュッフェ車両の隣である。指定された席にはすでに家族連れがいた。4人がけの向かい合わせシートの窓側に座る。8時07分満席の乗客を乗せ、定刻通り発車した。列車は高速で、うねりのある台地を走る。景色には広がりがあり、北海道にいるような感覚を覚えてしまう。しばらくすると、列車の左側に大きな湖が見えてくる。自分は右側に座っているので、よく見えないが相当大きな湖のようだ。この湖視界から消える頃、リレハンメルに到着する。ここで1994年に冬季オリンピックが開かれたのは記憶に新しい。どのような町かと非常に興味があるが、列車から見る限り町の規模は非常に小さい。実際乗降客もほとんどなかった。時間があればここにおりて、洞窟をくりぬいたスケートリンクや、原田、船木などが活躍したジャンプ台を見てみたいものだ。残念ながら今回は我慢する。
 
リレハンメルを出ると山間部に入る。ただし山間部と言っても断崖絶壁が迫っているわけではない。おそらく昔氷河の作用によって削られたのだろう。なだらかな山容が続く。山間部の景色に見慣れてきた頃、時刻は昼を回る。目の前に座っている家族連れの子供2人はとうに飽きてしまって、車内を歩きまわっている。さきほど母親から小さなりんごをもらって頬張って落ち着いていたが、食べ終わるとまた母親にからんだりする。お母さんは疲れているようでうとうとしかけるのだが、子供たちがすぐにおこしてしまう。気の毒に思うが、俺はどうしようもない。この子供2人が席をたったスキにビュッフェ車両へ行ってみた。あまり食欲がなかったのでグリーンティーだけを頼むことにした。16クローネを支払おうとすると売り子の姉さんが
 
「日本からきたの?」
 
と話しかけてくる。
 
「なぜわかったんすか?」
「日本の1000円札が見えたから」
 
車両を見渡しても日本人らしき人は見当たらないが、どうやらノルウェー国鉄を利用する日本人は多いようだ。グリーンティーは期待した日本茶ではなく、ハーブティーのようであった。熱いお湯にティーバッグが入れられて差し出される。香りが素晴らしくおいしく頂けた。
 
オッタ駅、ドンボス駅のあたりから景色がガラっと変わる。線路は氷河地形の底に敷かれている。列車が走る谷は文字通りU字形をしており、初めて見る景色にしばし感動する。広い谷底を見ているとこれだけ地形をえぐり取った氷河の力に驚かされる。氷河の流れ込む海には、バンクができやすい。これは氷河が大地を削りながら流れる際に氷内に取り込んだ土砂などが、海で氷が溶けるのと同時に放出され、除々にできるものである。氷河によってつくられる海中の山といったところだろうか。これだけの深い谷を見ると海底にバンクができるのもうなづける。
 
峠を越えると今度は湿原のど真ん中を走り始める。なかなか列車が湿原を突っ切る
体験はできない。ここは一つの名所のようであり、車内にアナウンスが流れる。ノルウェー語なので何と言っているのかわからないが、乗客たちが一斉に窓に視線を向ける。湿原らしい花は咲いていないが、あちこちに池糖が点在しており、湿原を走っている事がわかる。
 
長いくだり坂を終え、速度が落ちてきた。だんだんに民家の数が増えている事からトロンハイムが近づいているのだろう。左側に海が見えてくると列車は定時通り14時48分、トロンハイム駅に到着した。
ここからはタクシーでMoholt寮に向かう。寮の鍵を取りに行くためだ。昨日オスロでメールチェックした際、国際学生担当のDaleから連絡が入っていた。元々、寮の鍵を受け取れるのは月曜日〜金曜日に限られている。だからトロンハイムではユースホステルに1泊し、月曜日に鍵をとりに行く予定であった。しかしDaleが寮のアシスタントに頼んでくれたらしく、日曜日でも鍵を受け取れるらしい。お蔭でMoholt寮に着くと、無事に鍵を受け取る事ができた。さらにMoholt寮から俺の入るSteinan寮までアシスタントの人が車で送ってくれた。日本を出発して2日と8時間。ようやく到着した。ちょっと寄り道しすぎたかな。明日からは新生活が始まる。
 
 
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