この日、和也の体調が非常に悪かった為、彼をユースホステルに残し一人登山列車に乗った。スイスのツェルマットはマッターホルンのお膝元として有名な町で、ここから登山列車に乗れば、最もマッターホルンが美しく見えると言われるゴルナグラートに行く事ができる。
終点ゴルナグラートからマッターホルンを拝んだ後、復路途中のリッフェルベルグで登山列車を降りた。ここから1個上の駅リッフェルホルンへは冬でも歩ける遊歩道がある。
駅を降りて周囲を見回しても遊歩道らしきものは見えず、数コースのゲレンデが目の前に広がっているだけだ。たまたま上のゲレンデから歩いて来た人がいたので聞いてみた。
「知らないなあ。遊歩道なんてあるのかな。」
むう。どうやらかなりマイナーらしい。
よく目を凝らすと1つのゲレンデだけがスキー客が居ない。そのゲレンデは緩やかに小さな教会脇を抜けて登っている。
もしや、これか?
ゲレンデに見えていた遊歩道は、雪上車の通り道に違いない。それなりに広く雪は踏み固められている。10分も歩くと、スキーゲレンデは見えなくなり、スキーヤーの賑やかな声は一つとして聞こえなくなった。周囲は真っ白な雪と真っ青な空だけが空間を占有している。
目の前にはマッターホルン、そしてその周りにはアルプスの山々。今までこんな綺麗な場所に来たのは初めてだ。息を飲む美しさという言葉はこの事を言うのだろう。
俺は見栄っ張りな人間だ。基本的に自分の弱みを見せないように虚勢を張っている。だから日記の中でもネガティブな事は書いていないし、書こうとも思わなかった。その虚勢の裏に当たる部分には、悩みや不安などが多々ある。しかし、マッターホルンとアルプスの景色は、俺が立ち止まる度にその悩み1つ1つを洗い流してくれた。
小さい事だ
途中何度立ち止まって、その景色を振り返った事だろう。1時間歩いた道には雪以外、何もなかった。しかし俺が得たものそして、洗い流されたものはとてつもなく大きかった。
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